読みたい本を何冊か買い置きしてあるのですが、正直、仕事やら雑務に追われて読めていません..
とりあえず、読み流した本について書いておこうかなと。(自分の日記のつもりなので)
1冊目は、以前にミス日本の話を書いた時に書き添えたヘフェリン・サンドラ著の「ドイツの女性はヒールを履かない」です。
ドイツ人におけるライフスタイルを紹介しつつ、日本人女性との考え方の違いを示していて、それほど共感できる本では無かったですが、
「私たちは毎日、仕事や自分の家族のことなどで身の回りのことに集中して生きているので、視野が狭くなっている。気づいたら、自分の半径50メートルくらいのモノや人にしか興味を示さない毎日になっていた。・・・今自分の周りに起きていることが全てではなく、世界のほんの一部だという認識を持つべき。」といった記載があり、この辺は、ちょっとした気付きになったかな。。
もう1冊は、「みんなが手話で話した島」という本です。
どこかの雑誌で書評が載っていて、一応、読んでみようかと買いました。
ノーラ・エレン・グロースという文化人類学者が、マーサズ・ヴィンヤード島※というアメリカのボストンの南海上にある島で、耳が聞こえない聾唖者が多く住んでいた島の住民の生活などを記した本です。
※クリントン前大統領やオバマ前大統領が避暑で訪れるリゾートの島で、映画「ジョーズ」の撮影地にもなったらしい。
1800年代後半から1900年代前半にかけて、このマーサズ・ヴィンヤード島という島では、比較的近親者間で結婚していたことが遺伝的要因一つと考えられるが、一般的な割合よりも非常に多くの聾者(耳が聞こえない人)が生まれる確率が高く多くの聾者が生活していたそうです。
この様な聾者が多い環境の中では、普通に耳が聞こえる人も手話を身に着けるようになり、ある意味村の住民が「口語の会話も手話も両方使えるバイリンガル」になっていた、という事を文化医療人類学者の著者が調査して書き記した本です。
結果として、このように耳が聞こえなくても誰とでもコミュニケーションが取れる環境下だと、耳が聞こえない事は大きなハンディや恥ずべき事というよりは、本人も周りもちょっとした厄介ごとにしか過ぎないと感じていた(ハンディが有る人が小数だと特殊に扱われるが、多数となればハンディには感じない)という話です。
だから、人と違うことが何がどこまでがイレギュラーなのかという事は、社会の中で勝手に線が引かれているだな、という事を改めて考えました。。。
果たして、この日本に根付く同質性(排他性)は何とかならんものかな...
(と言って、自分が何かを変えられる訳ではないのだけれど...)
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